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東京高等裁判所 平成3年(行ケ)62号 判決

静岡県浜松市中沢町10番1号

原告

ヤマハ株式会社

同代表者代表取締役

川上浩

同訴訟代理人弁理士

志賀正武

渡辺隆

川崎研二

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 麻生渡

同指定代理人

田口英雄

奥村寿一

臼田保伸

関口博

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  原告

「特許庁が平成1年審判第5359号事件について平成2年12月27日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告

主文と同旨の判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和56年4月3日、名称を「増幅器」とする発明(以下「本願発明」という。)について特許出願(昭和56年特許願第50074号)をしたが、平成1年2月28日拒絶査定を受けたので、同年3月30日審判を請求した。特許庁は、この請求を平成1年審判第5359号事件として審理した結果、平成2年12月27日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は平成3年2月27日原告に送達された。

2  本願発明の要旨

増幅動作に伴い非線形電力消費がなされる増幅素子を単一または複数用いて構成される増幅回路と、

増幅すべき信号が印加される信号入力端子と前記増幅素子の入力端との間に介挿された加算回路と、

前記増幅素子の入力信号電圧と出力信号電圧との差電圧を検出し、この差電圧から前記増幅回路の出力信号電流に比例した線形成分電圧を減算して出力する加算電圧算出回路とを具備してなり、

前記加算回路により前記増幅すべき信号と前記加算電圧算出回路の出力信号とを加算してその加算結果を前記増幅素子の入力端に供給することを特徴とする増幅器。

(別紙図面1参照)

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は前項記載のとおりである。

(2)  これに対して、特開昭53-140955公報(以下「引用例」という。)の第1図(a)及びその説明の部分には、増幅器の出力信号を減衰器によって減衰し、この減衰器の出力信号と増幅器の入力信号を減算器に加えて歪み成分を求め、この歪み成分と増幅すべき信号とを加算器によって加算して、増幅器の入力側に供給することにより歪み成分を取り除くようにした増幅器が記載されている。(別紙図面2参照)

(3)  そこで、本願発明と引用発明を対比すると、両者は、増幅器の入力信号と出力信号から歪み成分を求め、この歪み成分を増幅器の入力端に供給することにより歪み成分を除去する点で一致し、〈1〉本願発明が増幅素子の入力信号電圧と出力信号電圧の差電圧を検出し、この差電圧から出力信号電流に比例した線形成分電圧を減算する加算電圧算出回路を具備しているのに対して、引用発明は増幅器の入力信号と、出力信号を減衰器により減衰した信号との差信号を生ずる減算器を具備している点(相違点〈1〉)、本願発明が加算回路の出力を増幅素子の入力端に供給しているのに対して、引用発明が加算器の出力を増幅器の入力側に供給している点(相違点〈2〉)で相違している。

(4)  上記各相違点について検討する。

〈1〉 相違点〈1〉について

イ 相違点〈1〉に関して審判請求人(原告)は、本願発明は増幅素子の入力信号電圧と出力信号電圧の差電圧を検出し、この差電圧から増幅回路の出力信号電流に比例した線形成分電圧を減算することを必須の要件としているのに対して、引用発明の減衰器+減算器の構成により得られるものは増幅回路の出力信号電流成分に比例する線形成分を含んだものであると主張している。

ロ しかしながら、引用発明においても、増幅器で生じた歪み成分Dのみが減算器の出力に得られ、この出力信号と増幅される前の信号を加算器で加算して増幅すれば歪みのない出力信号が得られるものであって、審判請求人の主張するような作用効果上の相違が生ずるものとは認められないから、この相違点は格別意味のあるものとは認められない。

〈2〉 相違点〈2〉について

相違点〈2〉に関して審判請求人は、本願発明は増幅素子について局所的な歪打消しを行って、回路内各部の駆動信号波形を歪みのないものにしようとするのに対して、引用発明は増幅回路全体として現れる各部歪みの集大成を一括して補正対象とする歪打消技術でしかないと主張しているが、引用発明の歪打消技術が増幅回路全体を対象としなければならないというように限定的に使用すべき必然性はなく、当然どのような部分の歪打消しにも使用できるということは、当業者であれば容易に想到することができるものと認める。

(5)  以上のように、上記の各相違点はいずれも格別のものではなく、本願発明は引用例の記載事項に基づいて当業者が容易に発明することができたものと認められるので、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

4  審決を取り消すべき事由

審決の理由の要点(1)、(2)、(3)は認める。同(4)〈1〉イは認めるが、同(4)〈1〉ロは争う。同(4)〈2〉は認める。同(5)は争う。

審決は、相違点〈1〉の判断に当たって、引用発明においても増幅器で生じた歪み成分Dのみが減算器の出力に得られ、この出力信号と増幅される前の信号を加算器で加算して増幅すれば歪みのない出力信号が得られるものであって、この点において、本願発明と作用効果上の相違はないとしているが、誤りである。

(1)  本願発明と引用発明の各構成及び作用は次のとおりである。

〈1〉 本願発明の構成上の特徴は、特許請求の範囲に「前記増幅素子の入力信号電圧と出力信号電圧との差電圧を検出し、この差電圧から前記増幅回路の出力信号電流に比例した線形成分電圧を減算して出力する加算電圧算出回路」として記載され、かつ、このことを具体的に示す本願の第5図(別紙図面1の第5図参照)に記載されているように、トランジスタ3の入出力間から歪みを検出し、この検出した歪みからトランジスタ3の線形成分を除去するところにある。本願の第5図の回路においては、トランジスタ3のベースエミッタ間電圧VBEから歪みの線形成分α・Ieを除き、これによって、非線形の歪み成分VDを袖出し、これに係数Kを乗じて加算器14に帰還するようにしているのである。

本願の第5図の回路の作用は、本願明細書(甲第2号証)の記載によれば、次のとおりである。

まず、差動増幅器17に入力される電圧VXは、

〈省略〉

で示される。ここで電圧VBEは、本願の第6図(別紙図面1の第6図参照)に示す関係にあるから、

VBE=α・IE+VD=β・RE・IE+VD・・(2)

が成り立つ。

式(2)を式(1)に代入すると、

〈省略〉

が得られる。

そして、Ra=β・Rbを満たすように抵抗値Ra、Rbを設定すると、式(3)は、

〈省略〉

となり、差動増幅器17に入力される電圧VXは非線形成分電圧VDのみに比例することになる。

また、上記のとおりRa=β・Rbであり、式(2)よりα=β・REであるから、式(1)は次のように変形して表現することができる。

〈省略〉

上記式の右辺括弧内の(-α・IE)は、増幅回路の出力信号電流に比例した線形成分電圧を減算する部分であるから、上記式には、入力信号電圧と出力信号電圧の差から線形成分電圧が減算されていることが明瞭に示されている。

そして、第5図の入力電圧(駆動電圧)eiと出力電圧e0との関係は、

〈省略〉

となり、この式におけるK(差動増幅器17の利得)の値を

K=Ra+Rb/Rb

と設定すると、式(6)は変形されて

ei=(1+β)RE・IE+e0

となり、入力電圧eiと出力電圧e0との関係は非線形成分電圧VDとは無関係になり、非線形成分が打ち消されていることが解る。

〈2〉 引用例(甲第4号証)には、第1図(a)の回路(以下「引用例の回路」という。別紙図面2参照)の説明として、「入力信号は加算器1を通って増幅率がαで歪成分がDの増幅器2に入る。増幅された出力信号は減衰器3(減衰率をβ=1/αとする)を通って減算器4の一方の入力端子に加えられる。減算器4のもう一方の入力端子には増幅器2で増幅される前の信号が加えられる。したがって減算器4の出力には増幅器2で生じた歪み成分Dだけが負の符号であらわれる。したがってこの歪み成分を加算器1に加えれば、歪み成分だけの負帰還が実現されることになる。すなわち増幅器1の入力信号をe1、出力信号をe0とすると、e0=αe1+Dとなる。したがって減衰器3の出力は1/α(αe1+D)、減算器4の出力はe1-1/α(αe1+D)=-D/αとなる。そこで、加算器1の出力は、入力信号をeとするとe-D/αとなりこれがe1に等しいことになる。よってe-D/α=e1となる。ところで、e0=αe1+Dであるから、e0=α(e-D/α)+D=αeとなる。したがって歪みは計算上零となりさらに増幅器の利得は負帰還をかける前の裸利得すなわちαに等しい。」(第2頁右上欄11行ないし左下欄11行)と記載されている。この記載によれば、引用例の回路においては、減算器4により増幅器2で生じた歪み成分Dが抽出され、これを入力側へ戻すことにより、歪みを打ち消すことができることになる。

(2)  本願発明と引用発明の差異は次のとおりである。

〈1〉 別紙図面T図は引用例の回路の等価回路であるが、等価回路のトランジスタは、歪みのないトランジスタ(理想上の増幅素子)、線形抵抗r及び歪み成分Dの合成とみなすことができる。この歪みのないトランジスタの増幅率αを線形抵抗rによる電力消費分を差し引いて考えると、

α=(e0-i0・r)/e1

となる。ここで、e1及びe0は、各々歪みのないトランジスタの入力電圧及び出力電圧であり、i0は出力電流である。また、トランジスダをエミッタホロワで用いるとすれば、増幅率はほぼ1であるから、e1=e0となる。この関係を上記式に代入すると、

α=(e0-i0・r)/e0

となる。そして、歪み成分Dを取り出した場合の出力電圧e0は負荷抵抗をRLとすれば、

e0=i0・r+i0・RL

となるから、これを用いてαを求めると、

〈省略〉

となる。したがって、引用発明においても、帰還路の係数βを、

〈省略〉

となるように設定すれば、歪み成分Dだけを帰還増幅器Kに与えることができ、この状態においては本願発明と同様の作用を奏する。

引用例の回路でいえば、増幅器2の利得αを線形成分を考慮した値にし、減衰器3の減衰率βを式(b)のように設定すれば、減算器4は非線形成分のみを抽出することができる。

しかしながら、このような設定においては、式(b)に示すようにβが負荷抵抗RLの関数になるから、常に線形成分を除去するためには、負荷抵抗RLの変動に応じてβの値を変動させなければならない。しかし、帰還路の係数βを負荷変動に合わせて変動させることは技術的に不可能であり、結局、引用例の回路においては、負荷抵抗RLの変動によって線形成分が帰還されてしまうのである。

なお、等価回路の帰還増幅器Kからの出力電圧は

ei-〔ei+D・(r+RL)/RL〕=-D・(r+RL)/RL・・・(c)

である。そして、同図の現実のトランジスタから出力される電圧をe′0とすると、

e′0=e0-i0・r+D・・・(d)

という関係があり、この式からDを求めると、

D=e′0-e0+i0・r

となる。ここで、e0=eiであるから、

D=e′0-ei+i0・r・・・(e)

となる。式(e)には(i0・r)なる項があるから、式(c)に代入すると、式(c)は出力信号i0に比例する項を有するように表すこともできる。しかし、e′0は、式(d)に示すように、i0・rを含んでいるので、式(e)の右辺においては、i0・rが相殺され、同式は出力信号i0を含まない式になる。また、式(d)に示されるe′0を式(e)に代入すれば、D=Dとなり、式(e)の右辺は出力信号i0に比例しない歪み成分Dそのものであることが解る。

上記のとおり、引用例の回路は、βが負荷抵抗RLの関数になっているから、ある1つの周波数でしか線形成分を除去することができない。したがって、増幅器の負荷がオーディオ回路のスピーカのような場合、インピーダンスは周波数によって変化するから、線形成分を除去するためには、インピーダンスの変化に応じてβの値を変動させなければならない。しかし、そのようなことが技術的に不可能であることは前述したとおりである。このように、引用例の回路が、ある1つの周波数でしか線形成分を除去できないのは線形成分を減算するという構成を持たず、帰還路における係数の乗算によって線形成分を除去しているからである。

〈2〉 一方、本願発明は、線形抵抗rを補正対象としないで歪み成分を精度良く打ち消そうとするものであり、帰還増幅器Kに歪み成分Dだけを通過させるようにしたものであるから、負荷抵抗RLが変動しても、線形成分が帰還されることはない。

本願発明の特徴は、特許請求の範囲に記載するように、加算電圧算出回路が差電圧から増幅回路の出力信号電流に比例した線形成分電圧を減算することにあるが、この線形成分電圧を差し引くという構成は従来にはないものであり、この構成により、周波数の変動によって負荷電流が変動しても、この変動に応じた線形成分が差し引かれ、いかなる周波数帯域においても非線形成分だけを帰還することができ、全周波数帯域にわたり歪み成分を打ち消すことができるのである。

本願明細書に「歪打消し効果が周波数特性を有さず、したがって位相補償等は不要であり、かつ全周波数帯域にわたり歪を打ち消すことが可能であり」(甲第2号証9頁右下欄3行ないし6行)と記載されているが、「周波数特性を有さず」の文言は、周波数によってインピーダンスが変わっても影響を受けないということを言い表しており、このことからしても、本願発明においては、いかなる周波数帯域においても非線形成分だけを帰還することができるものであることは明らかである。

(3)  以上のとおり、本願発明はすべての周波数領域において帰還信号を少なくすることができるのに対し、引用発明では、ある1点の周波数の場合を除いて、本願発明と同等の効果が得られないのであるから、両発明の間に作用効果上の相違はないとした審決の判断は誤りである。

第3  請求の原因に対する認否及び反論

1  請求の原因1ないし3は認める。

2(1)  請求の原因4(1)は認める。

本願発明も引用例の回路も共に、歪みの線形成分を除去し、非線形成分のみを抽出して、これを増幅器の入力側に供給することにより打ち消しているのであるから、何ら相違するところはない。

(2)  同4(2)のうち、等価回路(別紙図面T図)に基づく計算関係が原告主張のとおりであること、引用例の回路において減衰器の減衰率βを式(b)のように設定したとしても、歪みの非線形成分だけが検出されるのは、ある1つの周波数であって、負荷抵抗RLの変動に応じてβの値を変動させなければならないが、そのことは技術的に不可能であることは認めるが、その余は争う。

請求の原因4(2)〈1〉において式(c)で示されている、等価回路の帰還増幅器Kからの出力に対して、式(e)を代入すると、帰還増幅器Kの出力は、

{(r+RL)/RL}・(ei-e′0-i0・r)と

なる。すなわち、帰還増幅器Kは、実質的に増幅回路の入力信号電圧eiと出力信号電圧e′0との差電圧を検出し、この差電圧から増幅回路の出力信号電流i0に比例した線形成分電圧を減算して出力する回路であることは、上記式から明らかである。そして、この帰還増幅器Kは、引用例における減算器4に相当するものであり、また、引用例においても、減算器4の出力が歪み成分のみであることは、その記載より明らかである。

審決では、相違点〈1〉の判断に当たって、この点を、前示審決の理由の要点のとおり判断したものであって、この判断に原告主張のような誤りはない。

原告は、本願発明においては、線形抵抗rを補正対象としていないので、負荷変動にかかわらず、常に、歪み成分だけを帰還することができる旨主張する。

しかし、本願特許請求の範囲に記載された発明における「加算電圧算出回路」は、増幅素子の入力信号電圧と出力信号電圧との差電圧を検出し、この差電圧から増幅回路の出力信号電流に比例した線形成分電圧を減算して出力しているにすぎず、その作用において、引用例における減算器4との間に格別の相違が認められないことは明らかであるから、上記主張は、特許請求の範囲に記載された発明に基づくものであるとは認められない。

また、甲第2号証第2頁左下欄8行ないし右下欄11行の記載よりみて、「周波数特性を有さず」の文言の意味は、負帰還を利用して歪みを減少する方法を採用した場合に生ずる周波数特性を有しないという意味であることは明らかであり、本願明細書には、負荷インピーダンスの変動に関する記載は見当たらないから、「周波数特性を有さず」の文言が、周波数によってインピーダンスが変わっても影響を受けないことを言い表しているとする原告の主張は理由がないものというべきである。

(3)  同4(3)は争う。

上記のとおり、審決の判断に誤りはなく、取消事由は理由がない。

第4  証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録記載のとおりである。

(書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。)

理由

1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)については、当事者間に争いがない。

そして、引用例に審決摘示の技術事項が記載されていること、本願発明と引用発明との一致点及び相違点が審決摘示のとおりであること及び相違点〈2〉に対する判断についても、当事者間に争いがない。

2  本願発明の概要

甲第2号証(本願発明の公開特許公報)、第3号証の2(昭和61年12月12日付手続補正書)及び同号証の3(平成1年5月1日付手続補正書)によれば、本願発明は、増幅回路内部、特に、増幅動作に伴い非線形電力消費を生じる増幅素子において発生される歪みのうち非線形成分のみを検出し、その検出出力を入力信号に加え合わせることにより該増幅回路の有する固有歪を効果的かつ安定に打ち消すようにした増幅器に関するものであって、「電圧歪、電流歪を減少させる方法としては負帰還を利用する方法があるが、この場合の歪の改善量は周波数特性を有し、ゲイン交点周波数(カットオフ周波数)まで徐々に減少するという問題がある。また負帰還を利用して歪を低減しようとするとその増幅回路内における歪発生箇所に関係なく増幅回路内の全ての部分に歪み打ち消し用の信号と増幅すべき本来の信号とにより混変調歪が発生されてしまうという問題がある。また負帰還を利用する場合は、信号レベルそのものが(すなわち歪成分だけでなく信号自体が)帰還されるため、裸ゲイン(帰還を施さない場合のゲイン)の周波数特性および位相特性に増幅器の安定度が大きく左右されることになり、このため帰還量および帰還周波数帯域が制限されることになるから、歪改善量にも自ずと限界がある。」(甲第2号証第2頁左下欄8行ないし右下欄5行)との知見のもとに、負帰還を使用することなく、電圧歪を極めて効果的に打ち消すことができ、かつ負帰還を施した場合においても極めて安定した増幅作用を得ることができる増幅器を提供することを目的として、前示要旨のとおりの構成を採用したものであることが認められる。

3  取消事由に対する判断

(1)  請求の原因4(1)については当事者間に争いがない。

すなわち、本願の第5図の回路の作用は、本願明細書(甲第2号証)の記載によれば、次のとおりである。

差動増幅器17に入力される電圧VXは、

〈省略〉

となり、電圧VXは非線形成分電圧VDのみに比例する。また上記式は、

〈省略〉

と変形して表現することもでき、この式は、増幅素子の入力信号電圧と出力信号電圧の差電圧から増幅回路の出力信号電流に比例した線形成分電圧を減算していることを示すものである。入力電圧eiと出力電圧e0との関係は、

〈省略〉

となり、この式におけるKの値を

K=(Ra+Rb)/Rb

と設定すると、

ei=(1+β)RE・IE+e0

となり、非線形成分電圧VDと無関係になり、非線形成分は打ち消されていることになる。

一方、引用例の回路においては、減算器4により増幅器2で生じた歪み成分Dが抽出され、これを入力側に戻すことにより歪み成分を打ち消している。

上記のとおり、引用発明においても、増幅器2で生じた歪み成分Dのみが減算器4に得られており、減算器4は、本願の第5図の差動増幅器17と同様の機能を奏しているものということができるから、「引用発明においても増幅器で生じた歪み成分Dのみが減算器の出力に得られ、この出力信号と増幅される前の信号を加算器で加算して増幅すれば歪みのない出力信号が得られるものである」とした上、本願発明と引用発明との間に原告主張のような作用効果上の相違はないとした審決の判断に誤りはないものというべきである。

(2)  原告は、引用例の回路の等価回路であるとする別紙図面T図に基づいて、本願発明と引用発明との差異について次のとおり主張する。すなわち、「引用例の回路において、減衰器の減衰率βを、

〈省略〉

となるように設定すれば、歪み成分Dだけを帰還増幅器Kに与えることができるが、βが負荷抵抗RLの関数になっているから、ある1つの周波数でしか線形成分を除去することができず、常に線形成分を除去するためには、負荷抵抗RLの変動に応じて帰還路の係数βの値を変動させなければならない。しかし、βを負荷抵抗の変動に合わせて変動させることは技術的に不可能である。引用発明が、ある1つの周波数でしか線形成分を除去できないのは線形成分を減算するという構成を持たず、帰還路の係数の乗算によって線形成分を除去しているからである。これに対し、本願発明は線形抵抗rを補正対象としないで歪み成分を精度良く打ち消そうとするものであり、帰還増幅器Kに歪み成分Dだけを通過させるようにしたものであるから、負荷抵抗RLが変動しても、線形成分が帰還されることはない。」旨主張するので、この点について検討する。

等価回路(別紙図面T図)に基づく計算関係が原告主張のとおりであること、引用例の回路において減衰器の減衰率βを上記式(b)のように設定したとしても、歪みの非線形成分だけが検出されるのは、ある1つの周波数であって、非線形成分のみを検出するためには、負荷抵抗RLの変動に応じてβの値を変動させなければならないが、そのことは技術的に不可能であることは、被告も認めて争わないところである。

そして、等価回路における帰還増幅器Kからの出力電圧は、歪み成分-Dに帰還路の係数βを乗じたものであり、この点では原告主張のとおり帰還路の係数の乗算によって線形成分を除去しているということができる。

ところで、原告の主張するとおり、等幅回路の帰還増幅器Kからの出力電圧は、

e1-〔ei+D・(r+RL)/RL〕

=-D・(r+RL)/RL・・・(c)

である。そして、歪み成分Dは、

D=e′0-ei+io・r・・・(e)

である。

したがって、式(e)を式(c)に代入すると、帰還増幅器Kの出力は、

〈省略〉

と表すことができる。

そうすると、上記式に示されているとおり、帰還増幅器Kは、結局、トランジスタの入力信号電圧eiと出力信号電圧e′0との差電圧を検出し、この差電圧(ei-eo)から増幅回路の出力信号電流i0に比例した線形成分電圧(i0・r)を減算して出力しているということができ、この点は、本願発明の「増幅素子の入力信号電圧と出力信号電圧との差電圧を検出し、この差電圧から前記増幅回路の出力信号電流に比例した線形成分電圧を減算して出力する」という構成に相当し、帰還増幅器Kは引用例の回路における減算器4に相当するものであるから、上記構成に関しては、引用発明は本願発明と同一のものということができるのであって、原告の上記主張中、これに反する部分は採用できない。

次に、本願の第5図における差動増幅器17からの出力は、

〈省略〉

であって、引用例の等価回路における負荷抵抗RLのような成分を含んでいないから、負荷抵抗の変動の影響を受けないものということができる。

ところで、上記等価回路では、負荷抵抗RLが変動する場合には歪みの非線形成分のみを抽出することができないのに対し、本願の第5図の回路では、負荷抵抗の変動の影響を受けずに非線形成分のみを抽出することができるという違いは、前者の回路では、帰還増幅器Kからの出力中に帰還路の係数として、(r+RL)/RLという成分が含まれているのに対して、後者の回路では、等価回路における帰還増幅器Kからの出力のような負荷抵抗RLの変動によって変動する成分を含まず、差動増幅器17からの出力の係数をK・Rb/(Ra+Rb)としているからである。したがって、本願発明において、負荷抵抗の変動による影響を受けずに、常に非線形成分のみを抽出することができるようにするためには、差動増幅器17からの出力の係数をK・Rb/(Ra+Rb)と規定する必要がある。すなわち、本願発明の特許請求の範囲において、加算電圧算出回路につき「前記増幅素子の入力信号電圧と出力信号電圧との差電圧を検出し、この差電圧から前記増幅回路の出力信号電流に比例した線形成分電圧を減算して出力する」とのみ規定するだけで、差動増幅器17からの出力の係数としてK・Rb/(Ra+Rb)を必須の構成要件として規定していない以上、周波数の変動によって負荷抵抗が変動するような場合には、全周波数帯域にわたり歪み成分を打ち消すことができるということにはならない。

したがって、本願発明においては負荷抵抗が変動しても線形成分が帰還されることはない旨の原告の主張は、本願発明の要旨に基づかないものであって失当というべきである。

この点について原告は、本願明細書に「非線形歪の打消し効果が周波数特性を有さず、したがって位相補償等が不要であり、かつ全周波数帯域にわたり歪を打ち消すことが可能であり」(甲第2号証9頁右下欄3行ないし6行)と記載されていることから、「周波数特性を有さず」の文言は、周波数によってインピーダンスが変わっても影響を受けないということを言い表しており、このことからしても、本願発明においては、いかなる周波数帯域においても非線形成分だけを帰還することができるものであることは明らかである旨主張する。

しかし、本願明細書には周波数によって負荷インピーダンスが変動する場合の歪打消しに関する記載はなく、特許請求の範囲には差動増幅器からの出力に関する上記係数が記載されていないこと、及び前記2項において摘示した甲第2号証第2頁左下欄8行ないし右下欄5行の記載に照らしても、「周波数特性を有さず」というのは、負帰還を利用して歪みを減少する方法を採用した場合に生ずる周波数特性を有しないということを意味するに止まるものであることは明らかであることからして、原告の上記主張は採用できない。

(3)  以上のとおりであって、相違点〈1〉についての審決の判断に誤りはなく、原告主張の取消事由は理由がない。

4  よって、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤博 裁判官 濵崎浩一 裁判官 押切瞳)

別紙図面1

〈省略〉

別紙図面2

〈省略〉

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